2012年9月26日水曜日

Shadow-A-Student Day (授業参観)

この写真は娘の中学校で入学式の前の日に取ったもの。

今日娘の行く中学校で授業参観があった。日本では授業参観というと、親達がクラスに来て教室の後にうじゃうじゃと並んでいる姿を思い出すが、こちらの中学校はもうすでに、教科ごとに生徒たちが教室から教室へと動くようになっているので、親達も一緒に動かないといけない。子供達の後を影のように追っていくと言うことで、その名も「生徒をシャドーする日」という。この日のことを知ったのは9月も始まって間もないころ。私はアメリカで中学校に行った事がないので一人で大喜びしていた。でもふと、もしかしたら娘は私に一緒に学校に行って欲しくないかもしれないと思ったので一応聞いてみたら、全然問題なしにママと一緒に学校に行けると娘も大喜びしていた。ほっ!

当日は学校が半日の日、登校は7時45分。親はスクールバスには乗れないので、その日は私の運転で学校に行ってきた。学校に着くと、ドーナツやコーヒーなどが親達のために用意してあり、また、校内放送で「中学校へようこそ!」みたいなアナウンスもあり、すごくサービスが良かった。最初のクラスは演劇のクラス。ただ見ているだけでいいやと思っていたら、なんと先生が、パントマイムのゲームにお父さん、お母さん方もぜひ参加してくださいなどと言っていたので最初から冷や汗ものだった。そうやって一時間目は終わり。二時間目は数学。中学生のレベルの数学はまだまだ大丈夫なので、このクラスは楽々クリヤ。3時間目は体育。体育のクラスはやっぱり見ているだけで終わり。4時間目は社会。娘の席はまん前で、私は後ろに座っていたせいで背の小さな娘は全然見えなかった。だから、授業中ずっと歴史の教科書を読んでいました。日本に関することをアメリカの歴史の教科書で読むのもちょっと面白かったよ。5時間目は理科で、6時間目は国語だった。アメリカの国語だから、日本でいうと、英語のクラス。そうやって一日が結構早く終わったのでした。

クラスの中でも外でも、娘の先生やお友達と結構お話しする機会があったので親の私にとってはすごく利益になる行事だと思った。娘のお友達は女の子達も一人の男の子(!)もすごく素直ないい子だったので親にとっては胸をなでおろす感じだった。やっぱり思春期の子供達にとっては友達の影響ってすごいものね。

来年は息子の番。ちょっと早めに「ママに来て欲しい?」と聞いてみたら、今の所は「うん!」と言ってます。でも、男の子だから、あと一年も経てば心変わりしてるかもね、、、(笑)

2012年9月15日土曜日

さようならスノーボール!


今年の夏、悲しい出来事が起こった。約二年ほど家で飼っていた愛犬のスノーボールが死んでしまった。スノーボールはダックスフンド。ダックスフンドを買うまで全然知らなかったことだが、ダックスフンドはヘルニアになりやすい種類なのだそうだ。よく思い出してみると、一年ほど前、足を引きずっていたことも会って、それもきっとヘルニアの症状だったに違いない。今だから言えるが、その時は犬猫病院に連れて行ったにもかかわらず、先生はヘルニアのことなど何も言わなかった。

今回のニュースは、私達が夏休みの旅行からちょうど家に帰ってきた日に来た。何が起こったのかは解らない。夜は健全だったスノーボールが、いきなり朝になったら足を引きずって歩いていたと言うのだ。夜中に高い所から一人で飛び降りたのか、背中をねじったのか、何が起こったのかは今でも解らない。次の日は月曜日で、私はその日は普通に仕事に行っていたが、スノーボールを引き取りに行っていた彼から「救急動物病院に連れて行かないといけない。」とすぐ連絡が入った。嫌な気がしたが、「うん、すぐ連絡してね。」とだけ言って電話を切った。待つこと2時間後、また連絡が来た。電話口で彼が泣いているのがわかる。何も言わないのに私も泣いてしまった。彼が言おうとしていることは言わなくても解った。

スノーボールの症状はかなり重症で、対処方法は手術しかない。それも、高いお金を掛けて手術しても100パーセント完治の保証は無いと言うのだ。下半身がまるっきり麻痺しているのでこのままではトイレにも行けない。私が抱っこしておしっこさせることは出来るけれど、それも自分からすることは出来ない。歩けないけれど、私たちを追って足を引きずって歩くので、足の肌が真っ赤になって血が出てきている。それでもスノーボールは一生懸命後を追ってくる。

長いこと話をした後、私たちは安楽死の選択をすることにした。今まで犬を買ったことはあるが、安楽死をさせたことは初めてだったので、すごく辛い選択だった。もう二度と犬は欲しくないと思った。今でも時々家に一人でいると、スノーボールが歩いてくる音が聞こえるような気がする。スノーボールがくしゃみをする音とか、水を飲む音とかが、なんとなく聞こえるみたい。気のせいだろうとは思うけど、家族の一員が突然いなくなるというのは信じがたいことだ。

2012年9月12日水曜日

チャリ登校


無事娘のお見送りを終えて10分後、今度は息子の番。息子はまだ同じ小学校に通っているので、登校距離は約1キロ弱。歩いて行っても15分くらいで届く所にある。けれど、前々から息子は自転車で学校に行きたいと懇願していたので、結局今年は自転車を買ってあげることにした。

自転車を買ったは良いが、アメリカの自転車には日本のように始めから荷台がついていない。息子は学校でトランペットを習っているので、トランペットのケースを週3度ほど持っていかないといけない。普通の日はバックパックを背中に背負って行くので問題は無いが、音楽の日は荷台がないと、片手運転というのはやっぱり危ない。と言うことで、自転車やさんに行って荷台を付けてもらうことにした。

荷台を付けてもらったし、もう大丈夫と高をくくっていた私達は、トランペットの練習が始まる第2週間目の前の夜、想像とは裏腹に息子の部屋で自転車とトランペットケースを相手に大苦戦となった。トランペットのケースは長方形で長いところが50センチ以上はある大物。荷台はアルミ形の鉄で出来ていて、つるつると滑ってケースが固定できない。タオルを巻いてみたり、違う角度にして見たりといろいろ試した。そうやって20分ほど格闘した後、ふと考えが浮かんだ。つるつる滑っちゃうんだから、滑らないものを間に挟めばいいんじゃん!それは何かというと、キッチンの棚用に前に買っておいた、キッチンライナー。ゴムみたいな素材で出来ていて、棚の上に敷く薄いマット見たなものなんだけど、これが大当たり。それを荷台に載せてその上にケースを載せたら全然滑らず5分以内で固定することが出来た。一件落着とはこのことだ。

と言うわけで、息子は今も毎日元気に学校にチャリ登校している。

2012年9月7日金曜日

初めてのスクールバス


今年8月下の娘が中学校に入学した。ここアリゾナ州のギルバート市では小学校が幼稚園から6年生まで、中学校が7年生と8年生、それから高校が9、10、11、12年生と続く。場所によっては小学校が8年生まで続くところもあって、アメリカでは中学校1年生とか、高校2年生とか分けずに全部まとめて1年生から12年生と言う。

さて、もう子供達もだんだん大きくなってきたし、今まで新学期といっても別に一緒に学校に行ったりしなくなっていたのに、今年は事情がかなり違う。と言うのもこの6年間、息子と娘は一緒に学校に通っていたが、今年からとうとう2人別々の学校になってしまったからだ。

娘の中学校は家から約2.5キロ、大人の足で歩いても30分はかかるところにある。それに学校に行くまでに2度ほど交通量のかなり激しい大通りを渡らなければならない。と言うことで、家の近くまでスクールバスが迎えに来るようになっている。何しろ今まで朝ごはんから学校までの送り迎えまで私が仕事に行っている間、全部学童保育に頼りっきりだったので、学校が始まるまではすごく心配だった。私の上司に無理言って最初の週は子供の様子を見れるように自宅勤務にしてもらったほど、、、学校の始業日の前の夜、目覚まし時計をセットし、バックパックも準備した。ドキドキの夜だった。

当日の朝、私はまだドキドキで部屋に待機していた。本当は子供を自分で起こして朝ごはんを作ってあげたかったけれど、それでは練習にならない。時々親って変な風につらい、、、でも、やはり起きる時間が20分過ぎても起きて来ない、、、ああ残念、と言うことで一日目は大失敗。結局子供達は私が起こして朝食を作ってあげた。

でもちゃんと、おねえちゃんと弟とママの見送る中しっかりスクールバスに乗って学校には行ったよ!お姉ちゃんと、ママには涙涙の第一日目だった。