2012年7月30日月曜日

オリンピックビレッジ

四日目はホストママとパパも含めてみんなで近くにあるオリンピックビレッジに行ってきました。タホ湖の近くにあるスクワ・バレーという所でオリンピックが開催されたのは、私が生まれるかなり前の1960年。今でもホテル、ケーブルカー、リフト、お土産さんや、レストランなどがいろいろあるところ。私達もケーブルカーで山頂まで行ってくることにした。ケーブルカーは私は何度も乗ったことがあるので全然気にもならなかったが、高所恐怖症のだんな様にとっては初めてのこと。乗る直前だんな様を見ていると、硬直状態。ストレスそのものが顔に出てる出てる。そんなことは全然知りもしないホストママは、「せっかく連れて行ってあげてるのにありがたみも無いみたいね。」なんて誤解して怒ってしまったので、ちょっとまずい雰囲気になってどーしよ~。ロマンチックな彼も、こうやってセンシティブなところが裏目に出ることもあるんですよね。そうやって山頂まで上っていくと、なんと山頂にはプールがあった。それもふもとにあるホテルのお客さんで満杯。ふとプールの横を見ると、まだ解けていない雪がある!雪の隣で泳いでいる人達を見るのはちょっと不思議な気持ち、、、ストレス満杯のだんな様はここでもビール。ストレスだらけでもうアル中になりそうです。(笑) 子供達は温かいココアを飲んで、その後は雪合戦を楽しんで下山となりました。

2012年7月24日火曜日

タホ湖

カメラをなくしたので自分で取った写真ではないけど、乗ったセールボートはこのようなものだった。
ロードとリップの第二日目、やっとタホ湖に到着しました。タホ湖はカリフォルニア州とネバダ州の州境に位置しているとても澄み切った水で有名な湖です。天候は残念ながら曇り。風がすごく強くて湖も波がかなり高いし、もうすぐ7月になろうとしているのに、かなり寒い!湖の砂浜で思いっきり日光浴をしようと張り切っていた私はがっかり。けれど、タホ湖には4泊の予定なので、天気予報を見ながら晴天になる日を待つことにしました。三日目は南タホ湖に向かってそこからセールボートで湖を一周することにしました。三日目も風が強く、湖の波もかなり高い。ボートも揺れに揺れ、デッキで立っているのがすごく疲れ状態でした。よろよろと歩くのも危ないだけなので、船内にあるバーでカクテルでも飲むことにした。お昼を過ぎた直後でまだ早いけれど、バケーションなんだから良いのと自分に言い聞かせて、私がブラディーマリー、だんな様はビール、子供達はシャーリーテンプルや、ロイロジャーなどのアルコール抜きのカクテルでみんな乾杯。セールボートでのクルーズは約2時間で終わりとなりました。

2012年7月23日月曜日

マンザナール強制収容所

夏休み!6月の終わりに家族旅行の第一弾として、レイクタホまでロードトリップに行ってきました!レイクタホはサンフランシスコの北東に位置しており、アリゾナからは約1000キロ。車で約12時間ほどかかります。今回は、ホストママとパパと一緒に行ったので、一日目はカリフォルニアのチャイナレークと言う所にある空軍基地で一泊となりました。二日目は空軍基地を出た後、レークタホに行く途中にあるマンザナール強制収容所という所による事にしました。マンザナール強制収容所というのは第二次世界大戦中、日本軍による真珠湾攻撃直後にアメリカにいた日系人全員が収容されたアメリカ国内で10箇所ある収容所のひとつです。(ちなみに収容所がアリゾナ州にも一箇所あるというのはこの時に始めて知りました。)日系人と言っても、日本から来た一世や、二世、三世など、また、日本人国籍を持つもの、アメリカ国籍を持つものもかまわず全員収容されたところです。前に話は聞いたことがあるものの、実際博物館に行って写真や、収容所の生活状態などを実際に見てみると、全然会ったことの無い人達なのに、涙がぽろぽろで出てきました。今でも同時多発テロのあとにターバンを巻いた人たちが差別で殺害されたニュースが出てくるこの世の中、60年以上も前の話、差別はきっと今以上に想像できないほどひどかったんだと思います。収容所に入ったほとんどの人たちが財産を全部無くしたそうで、さぞや悔しかったことでしょう。第二次世界大戦というと、日本でのアメリカ軍による攻撃、広島、長崎での原爆などを想像するのが日本人としては普通だけれど、こうやってアメリカの土地でもアメリカ国籍の日本人にかなりの影響があったということを目の前にして、今回はかなりの勉強になりました。アメリカに住んでいる日本人にとっては、日本軍による真珠湾攻撃は「迷惑」そのものだったんですよね。中には日本政府を恨みながら亡くなった日本人がいたと言っても納得できるような気がします。