2012年12月28日金曜日

ガンナムスタイル流クリスマス


ガンナムスタイルという曲に請っているのは先日お伝えしましたが、今回はそのガンナムスタイルの曲に合わせてライトショーをしている家に行って来ました。アメリカではクリスマス近くになると、ほとんどの家でクリスマスライトを使って家中を飾りつけます。家は電気代が高くなるからという庶民的な理由で家の中だけしかしないんだけれど、近所でも結構のりに乗って飾り付けをしている家々が沢山あります。つい最近ユーチューブでも結構有名になっている家が家から30分ほどの所にあることを甥から聞き早速子供達を連れて行くことにしました。上の写真は息子が携帯で取った写真だけど、やっぱり写真では解りづらいのでユーチューブのリンクをみてね。

これが普通の家なんて信じられる?それにしても車で混雑してて、近所に住んでいる人達にはちょっと可哀想な気がしました。だって私達が行ったのは夜の11時くらい。ちょっとうるさいよね。でも、子供達は大喜びなので親の私としては感謝です。

2012年11月30日金曜日

第二年バンドコンサート

後ろの方で青いシャツを着ているのが息子
息子がトランペットの練習を始めてかれこれ一年ちょっとになる。私自身音楽と言ったらピアノのレッスンを取ったくらいなので、トランペットなんてちんぷんかんぷん。息子が「トランペットしたい。」と言い出した時も、「もっとピアノとか簡単な楽器選んだほうがいいんじゃない?」と一生懸命説得したが、学期の選択はトランペットかバイオリンで、当時10才の息子によるとバイオリンは女の子の楽器なんだそうだ。まあ解らないでもないが、、、「ちゃんと続けるのぉ?」なんて親の私としてはちょっと心配だったので、最初は楽器屋さんからレンタルしていたトランペットも一年後の今は買い取って息子の物となっている。

その息子のコンサートがおととい学校であったので行って来た。去年のコンサートはあまり曲という曲の演奏が無かったので、、、今回はどれくらい良くなっただろうと思っていたら、想像以上だった。去年の音楽の先生は大学出たてじゃないのと思えるくらい若い先生だったのに比べて、今年新しく雇われた先生は、音楽科博士号持ちの大先生。小学校の先生なんて余りお給料が良い仕事ではないので、修士号を持った先生がいるだけでみんな「おおおっ!」と思うこの世の中、博士課程を修了してそれかつ、経験もある先生なんて小学校レベルでは見たことがなかった。でも、やはり先生が良いと子供の上達も断然違うと悟ったのはこの時。去年5年生だった息子が演奏したのは5秒くらいで終わる曲ばっかりだったのに、今年の5年生は違った。トランペットの音もスムーズだし、トランペットを始めたばかりの子供達にしてはすごく上手だった。もちろん6年生の息子の演奏する曲も抜群!今まで3回息子のコンサートを鑑賞したが、今回のコンサートでは始めて子供達の演奏会ではなくて普通のコンサートに行ったような気になった。今から学年最後のコンサートが楽しみ。

2012年11月15日木曜日

最近凝ってる曲


今までジムに通うといつもステップのクラスばかり取っていた私だが、ジム友が出来たせいもあってこの頃はズンバのクラスを沢山取るようになった。ズンバは主にラテン系の音楽にあわせて踊るエアロビのクラス。そのクラスで最近新しく紹介された曲の中でもとりわけ気になる曲があった。その名も Gangnam Style「カンナムスタイル」。今までラテン系の曲は、スペイン語が主流、その中に時たまポルトガル語が入ったりするので、全然歌詞がわからなくても「ああ、これってポルトガル語か何かじゃないの。」なんて気にも留めなかった。曲自体はすごくビートがあって踊りやすい曲。結構お気に入りの曲の一つになりつつあったので、You Tube(ユーチューブ)で調べてみることにした。

ところが調べてみると、なんとラテン系の音楽と思っていたこの曲は韓国の音楽だったのね。(汗) その名も「江南スタイル。」韓国語も解らなかったなんて自分の馬鹿さ加減に笑ってしまいました。アメリカで外国語の曲がヒットしたのは、坂本九の「上を向いて歩こう」くらいではないですか?と思うくらい、こちらで外国語の曲がヒットするのは珍しい。メキシコ移民が多いので、スペイン語の曲がヒットすることはあるけれど、アジア系ってのはほとんど無いので、このPSY(サイ) という歌手にとっても韓国にとっても韓国語の歌が世界中で大ヒットしたというのはすごく名誉なことだと思う。

もしまだ聴いた事が無かったら、リンクを付けたのでぜひ聴いてみて。ビデオはちょっと変で目が離せなくなっちゃうよ。

2012年11月13日火曜日

ハッピーアワー

これはブッチャーズブロックというイタリアのお肉、オリーブとチーズの盛りあわせ。

先日の日曜日はVeteran's Day(復員軍人の日)と言う祝日だったので、その振り替え休日として月曜日がお休みになっていた。政府に働いてすごく良い事は、お休みが沢山もらえること。公務員になる前は、祝日は年6日、病欠も年6日の合計12日と決まっていたのに、今はほとんどの国民の祝日はお休みがもらえる。ちなみに、アメリカでは祝日だからと言ってお仕事がお休みになると言うことはないからすごくややこしい。この復員軍人の日も国民の祝日にしては、お休みになる職場とお休みにならない職場があって、実際、私のお友達はこの日もがんばってお仕事に行っていた。

私達夫婦はそろって公務員なので、月曜日2、3時間子供達を家において二人だけでハッピーアワーがてら、近くのワインバーに行ってきた。お昼のラッシュが終わったばかりで、沢山の奥様方がランチを終わらせて出て行く中、私達はパティオに近いテーブルの席に着いた。お客様も少なめだしにちょうどリラックスできる時間。今日は気温も低めで、ドアを思い切り開けてあるので、外の風が涼しい。おつまみとワインを口にしながら主人と共にたわいない話をするのには絶好の機会だ。最初のオーダーは私達の定番、ブルスケッタ。ここのブルスケッタはいろいろな種類から4種類選べるし、何しろ大きい。いつものとおり彼のお気に入り二つと、私のお気に入り二つを頼んだ。

結婚しても、してなくても長年一緒にいると人間関係ってマンネリになりがちだから、私達もそうならないよう、たまには二人だけで一緒に過ごせる時間を作るようにしてる。昨日はそういう意味もあって楽しい時間を過ごせた。

2012年11月9日金曜日

初めての大統領選挙

 
アメリカ市民になりたかった一つの理由はやっぱり選挙に参加したいと言うこと。前回の大統領選挙は残念ながら見逃してしまったので、今回は初の大統領選挙でした。実を言うと、私は福祉課に働いているマイノリティーの癖して共和党、、、

むかーし、アメリカに初めて来る前に誰からかいただいたアドバイスが、「アメリカに行ったら宗教と政治と中絶のことは絶対話題にするな。」だった。まぁ、学生のときはそのアドバイスもあまり役にはたたなかったんだけど、大人になった今では忠実に守って、なるだけその話題だけは避けるようにしてます。特に生活保護や養育費補助金などを扱っている州の福祉課で働いている私は、何があっても私が共和党だと言うことを口にすることは断然出来ない。一度信用できる職場のお友達に一言その事を漏らした時だってすぐ「あなた職場間違ってるわよ。」ととっさに言い返されたくらい、人の目はすごく厳しいのが現状。その私、他の人から「誰に投票するの。」と聞かれるたびに郵便投票で早くから投票できるくせして「まだ決めてないのよね。」なんて軽く流しながら当日になってロムニー・ライアンの矢印をこそこそと付けて投票所に走ったくらい。へへへ、気が弱いです、、、、私。残念ながら結果はオバマ大統領が再選したわけですが、もうそれはしょうがない。

それにしても今回思ったことですが、共和党のグループを見ると、みんな綺麗な人達ばっかりなんですよね。白人が断トツ多いんですが、それに加えてみんな美しく着飾っている。それに対して民主主義のグループはマイノリティーが多い多い。白人、黒人、ラテン系、アジア人。人種の坩堝って感じです。それに加えて着ている物も人それぞれ。なんだか、見てて不思議な感じがしたのは私だけかな?

2012年11月7日水曜日

ハワイでローカルな一日


次の日はローカルなレストランで私がポルトガルソーセージ、目玉焼きと炊き立てのご飯、だんな様がロコモコというハワイならでの朝ごはんを食べた後、ハワイの東海岸にドライブに行った。もちろんハワイにはかなりたくさんの海岸があるんだが、どの海岸も微妙にちがう。凄くきれいだったのは全部同じだけれど、、、途中でオバマ大統領も行った事があるというカキ氷のお店アイランドスノーでかき氷も食べた。やっぱりハワイならではのカキ氷。日本とまったく同じで、アリゾナの氷を砕いたような変なカキ氷とは大違い。名前のとおりまるで雪を食べてるみたいで美味しかった。ガイドブックではよくマツモトのかき氷が美味しいと書いてあるが、私はどっちとも試した後、やっぱりアイランドスノーのほうが美味しいと思った。今度ハワイに行くときは食べ比べしてみてね。
 
夜は初めてハワイに来たらル・アウでディナーショーは欠かせないでしょう、と言う事で、いとこ夫婦がル・アウに連れて行ってくれた。行った場所はパラダイス・コーブというところ。ル・アウは日本でも昔、宮崎辺りに旅行した時に行った覚えがある。でも、本場ハワイのル・アウはやっぱり良かった。最初ル・アウの会場に入園すると、綺麗なお姉さんとお兄さん方がレイを掛けてくれ、マイタイと言うカクテルでウエルカム。会場の中では食事の前に、いろいろなアクティビティーが用意してあった。ゲームであったり、レイの作り方を教えてもらったり、またポリネシアの凄くかっこいいお兄さんと写真を撮ったりカクテルを飲みながらいろいろな事をするうちに2時間弱があっという間に過ぎてしまった。さて、お食事の方は人数が多いこともあってあまり期待はしてなかったんだけど、豚の丸焼き、結構美味しかった。結局何度かおかわりに行きました。やっぱりハワイでは食事に必ずご飯が出てくるってのがいいね。日本に帰ったような気がして凄くうれしかった。

今回の旅一週間だったんだけど、あっという間に過ぎてしまって、くつろぐ暇もなかったと言うのが本音。ブログに書いたのはほんのちょっと、他にも花火を見に行ったり、海がめを見たりといろいろな経験が出来ました。来年の春から近くの飛行場から飛ぶアリージェント航空が往復200ドルちょっとでハワイ直行便を出すことになると聞いたので、そうなったら、もっとハワイに行きたいなと思っているところ。今回は断然ハワイが大好きになった旅だった。

2012年11月5日月曜日

戦艦アリゾナ観光


二日目は朝起きると、もうすでにいとこの奥さんが近くにあるレナ-ズ・ベーカリー(Leonard's Bakery)からマラサダというポルトガル風のドーナッツを買ってきてくれていた。このマラサダはホストパパからも絶対食べるようにと言われていたし、ガイドブックにもよく載っていることもあって、出来立て熱々のマラサダはやっぱりすごく美味しかった。

さて、この日は真珠湾攻撃で有名なオワフ島、真珠湾の海の底に眠っている戦艦アリゾナ号・メモリアルと真珠湾攻撃資料館の観光をしてきた。何しろ初めて行くので歩いて行くのだろうと思っていたら、一応船に乗って行くのね。沈没している戦艦だもんね、納得。(恥) 真上に建てられたメモリアルに着いて少し歩き回った後、下で静かに眠っている戦艦をじっと見下ろすと、綺麗な魚たちが泳いでいるのが見えた。よく見るとその横で、下の方から小さなパチンコ玉くらいの大きさの真っ黒な玉がぷかりぷかりと上がってくるのが見える。何だろうとよく観て見たらそれは70年後の今でも沈んだ戦艦から少しずつ漏れている石油だった。その真っ黒な玉は海面にあたるとはじけて海の表面が油で七光りしてる。美しい光と魚と、戦争で沈没した戦艦との対象が皮肉に感じたのは私だけだろうか。

メモリアルの横には映画バトルシップで有名な戦艦ミズーリーが今は博物館となって泊まっている。私は恥ずかしながらこの日になって始めて知ったことだが、ポツダム宣言のあの書類の調印は、この戦艦ミズーリーのデッキで行われたという。(もちろん戦艦ミズーリーは、その時は日本の港に泊まっていたのだが、、、) えぇぇぇぇ!この私が立ってるこの場所であの歴史に残る偉大なことが起こったんだと思いながら、一人で感動しまくっていた。

2012年10月24日水曜日

ハワイ旅行


昔から親戚が住んでいる事もあるしハワイには一度くらい行って見たいなぁと思っていたんだけれど、その機会が急に来た。秋休み近づく9月の終わりごろ、子供達が秋休み中一週間パパのうちに遊びに行くことが決まった。上の娘はもう一ヶ月ほど前にママの家に住むようになっていないので、いきなりの二人きりの一週間、何をしようか考えた挙句ハワイに行くことにした。到着地はおなじみのオアフ島。空港から20分ほどの所にいとこ夫婦が住んでいるので、そこで一週間お泊まりさせてもらうことになった。朝は8時のハワイ航空でフェニックスからホノルルまで直行。6時間のフライトもそこまで苦にならず、あっという間にハワイに到着。空港ではいとこがプルメリアのレイを持ってお迎えにきてくれた。到着後すぐにもうハワイ満喫だ。気候は10月だと言うのに、寒くも無し暑くも無し、すごく心地が好い。気温は大体27度くらいだったかな?何しろ機内食が言葉で説明できないくらいまずかったので、ハワイで最初にした事は食事。その時はこの旅行がグルメ三昧の旅行になるとは全然予想もしていなかった。やっぱりハワイに着たんだから、食事をするにもハワイ料理がいいわよね、と言うことで、私の第一食はサイミンという日本で言うラーメンのようなもの。久しぶりの日本的食事で(ハワイ料理って日本食に似た頃があるの)感激しながら器いっぱいに入っているサイミンを全部食べてしまった。ああ、美味しかった。お腹がいっぱいになった後は家に帰る前に、近くの砂浜へ寄ることにした。そこはいとこのお家から車で約5分の所にあるあまり人気のない砂浜。飛行機を降りて空港に一歩足を入れてからと言うもの、たくさんの旅行客に常時囲まれていた感じだったので、人気のない砂浜はとても新鮮だった。これからハワイでの一週間いろいろな新しい経験が出来そうで、とっても楽しみ!

2012年10月4日木曜日

ミラクルキャンディー

私が小さいころ見ていた大好きなテレビ漫画と言えば、メルモちゃん。これじゃあ年がばれてしまいそうだけど、メルモちゃんの持っていた赤いキャンディー(食べると10歳若返る)と青いキャンディー(食べると10歳年を取る)の威力に子供の頃かなり感動していたのを覚えてる。「私もミラクルキャンディーが欲しいなぁ。」と常に思っていた。その後、メルモちゃんの漫画のことなんてとっくの昔に忘れていた今日この頃、、、実は見つけてしまったんです、メルモちゃんのミラクルキャンディー。と言っても本物ではないんだけれど、広告を見てすぐ懐かしい思い出がよみがえってきました!(笑) それが上の写真。

実は、ビタミン剤なんですけど、、、、(笑) それもヘルスショップみたいな所ではなく普通のお店で売ってある商品だからたいしたことはないんですけど、のりで買ってしまいました。このビタミン剤は大人用のグミ。結構メルモちゃんのキャンディーの感覚で美味しいです。ちなみに赤のキャンディーを2個ほど食べてみましたが、やっぱり20歳ほど若返るようなミラクルはおきませんでした。がっかり、、、

2012年9月26日水曜日

Shadow-A-Student Day (授業参観)

この写真は娘の中学校で入学式の前の日に取ったもの。

今日娘の行く中学校で授業参観があった。日本では授業参観というと、親達がクラスに来て教室の後にうじゃうじゃと並んでいる姿を思い出すが、こちらの中学校はもうすでに、教科ごとに生徒たちが教室から教室へと動くようになっているので、親達も一緒に動かないといけない。子供達の後を影のように追っていくと言うことで、その名も「生徒をシャドーする日」という。この日のことを知ったのは9月も始まって間もないころ。私はアメリカで中学校に行った事がないので一人で大喜びしていた。でもふと、もしかしたら娘は私に一緒に学校に行って欲しくないかもしれないと思ったので一応聞いてみたら、全然問題なしにママと一緒に学校に行けると娘も大喜びしていた。ほっ!

当日は学校が半日の日、登校は7時45分。親はスクールバスには乗れないので、その日は私の運転で学校に行ってきた。学校に着くと、ドーナツやコーヒーなどが親達のために用意してあり、また、校内放送で「中学校へようこそ!」みたいなアナウンスもあり、すごくサービスが良かった。最初のクラスは演劇のクラス。ただ見ているだけでいいやと思っていたら、なんと先生が、パントマイムのゲームにお父さん、お母さん方もぜひ参加してくださいなどと言っていたので最初から冷や汗ものだった。そうやって一時間目は終わり。二時間目は数学。中学生のレベルの数学はまだまだ大丈夫なので、このクラスは楽々クリヤ。3時間目は体育。体育のクラスはやっぱり見ているだけで終わり。4時間目は社会。娘の席はまん前で、私は後ろに座っていたせいで背の小さな娘は全然見えなかった。だから、授業中ずっと歴史の教科書を読んでいました。日本に関することをアメリカの歴史の教科書で読むのもちょっと面白かったよ。5時間目は理科で、6時間目は国語だった。アメリカの国語だから、日本でいうと、英語のクラス。そうやって一日が結構早く終わったのでした。

クラスの中でも外でも、娘の先生やお友達と結構お話しする機会があったので親の私にとってはすごく利益になる行事だと思った。娘のお友達は女の子達も一人の男の子(!)もすごく素直ないい子だったので親にとっては胸をなでおろす感じだった。やっぱり思春期の子供達にとっては友達の影響ってすごいものね。

来年は息子の番。ちょっと早めに「ママに来て欲しい?」と聞いてみたら、今の所は「うん!」と言ってます。でも、男の子だから、あと一年も経てば心変わりしてるかもね、、、(笑)

2012年9月15日土曜日

さようならスノーボール!


今年の夏、悲しい出来事が起こった。約二年ほど家で飼っていた愛犬のスノーボールが死んでしまった。スノーボールはダックスフンド。ダックスフンドを買うまで全然知らなかったことだが、ダックスフンドはヘルニアになりやすい種類なのだそうだ。よく思い出してみると、一年ほど前、足を引きずっていたことも会って、それもきっとヘルニアの症状だったに違いない。今だから言えるが、その時は犬猫病院に連れて行ったにもかかわらず、先生はヘルニアのことなど何も言わなかった。

今回のニュースは、私達が夏休みの旅行からちょうど家に帰ってきた日に来た。何が起こったのかは解らない。夜は健全だったスノーボールが、いきなり朝になったら足を引きずって歩いていたと言うのだ。夜中に高い所から一人で飛び降りたのか、背中をねじったのか、何が起こったのかは今でも解らない。次の日は月曜日で、私はその日は普通に仕事に行っていたが、スノーボールを引き取りに行っていた彼から「救急動物病院に連れて行かないといけない。」とすぐ連絡が入った。嫌な気がしたが、「うん、すぐ連絡してね。」とだけ言って電話を切った。待つこと2時間後、また連絡が来た。電話口で彼が泣いているのがわかる。何も言わないのに私も泣いてしまった。彼が言おうとしていることは言わなくても解った。

スノーボールの症状はかなり重症で、対処方法は手術しかない。それも、高いお金を掛けて手術しても100パーセント完治の保証は無いと言うのだ。下半身がまるっきり麻痺しているのでこのままではトイレにも行けない。私が抱っこしておしっこさせることは出来るけれど、それも自分からすることは出来ない。歩けないけれど、私たちを追って足を引きずって歩くので、足の肌が真っ赤になって血が出てきている。それでもスノーボールは一生懸命後を追ってくる。

長いこと話をした後、私たちは安楽死の選択をすることにした。今まで犬を買ったことはあるが、安楽死をさせたことは初めてだったので、すごく辛い選択だった。もう二度と犬は欲しくないと思った。今でも時々家に一人でいると、スノーボールが歩いてくる音が聞こえるような気がする。スノーボールがくしゃみをする音とか、水を飲む音とかが、なんとなく聞こえるみたい。気のせいだろうとは思うけど、家族の一員が突然いなくなるというのは信じがたいことだ。

2012年9月12日水曜日

チャリ登校


無事娘のお見送りを終えて10分後、今度は息子の番。息子はまだ同じ小学校に通っているので、登校距離は約1キロ弱。歩いて行っても15分くらいで届く所にある。けれど、前々から息子は自転車で学校に行きたいと懇願していたので、結局今年は自転車を買ってあげることにした。

自転車を買ったは良いが、アメリカの自転車には日本のように始めから荷台がついていない。息子は学校でトランペットを習っているので、トランペットのケースを週3度ほど持っていかないといけない。普通の日はバックパックを背中に背負って行くので問題は無いが、音楽の日は荷台がないと、片手運転というのはやっぱり危ない。と言うことで、自転車やさんに行って荷台を付けてもらうことにした。

荷台を付けてもらったし、もう大丈夫と高をくくっていた私達は、トランペットの練習が始まる第2週間目の前の夜、想像とは裏腹に息子の部屋で自転車とトランペットケースを相手に大苦戦となった。トランペットのケースは長方形で長いところが50センチ以上はある大物。荷台はアルミ形の鉄で出来ていて、つるつると滑ってケースが固定できない。タオルを巻いてみたり、違う角度にして見たりといろいろ試した。そうやって20分ほど格闘した後、ふと考えが浮かんだ。つるつる滑っちゃうんだから、滑らないものを間に挟めばいいんじゃん!それは何かというと、キッチンの棚用に前に買っておいた、キッチンライナー。ゴムみたいな素材で出来ていて、棚の上に敷く薄いマット見たなものなんだけど、これが大当たり。それを荷台に載せてその上にケースを載せたら全然滑らず5分以内で固定することが出来た。一件落着とはこのことだ。

と言うわけで、息子は今も毎日元気に学校にチャリ登校している。

2012年9月7日金曜日

初めてのスクールバス


今年8月下の娘が中学校に入学した。ここアリゾナ州のギルバート市では小学校が幼稚園から6年生まで、中学校が7年生と8年生、それから高校が9、10、11、12年生と続く。場所によっては小学校が8年生まで続くところもあって、アメリカでは中学校1年生とか、高校2年生とか分けずに全部まとめて1年生から12年生と言う。

さて、もう子供達もだんだん大きくなってきたし、今まで新学期といっても別に一緒に学校に行ったりしなくなっていたのに、今年は事情がかなり違う。と言うのもこの6年間、息子と娘は一緒に学校に通っていたが、今年からとうとう2人別々の学校になってしまったからだ。

娘の中学校は家から約2.5キロ、大人の足で歩いても30分はかかるところにある。それに学校に行くまでに2度ほど交通量のかなり激しい大通りを渡らなければならない。と言うことで、家の近くまでスクールバスが迎えに来るようになっている。何しろ今まで朝ごはんから学校までの送り迎えまで私が仕事に行っている間、全部学童保育に頼りっきりだったので、学校が始まるまではすごく心配だった。私の上司に無理言って最初の週は子供の様子を見れるように自宅勤務にしてもらったほど、、、学校の始業日の前の夜、目覚まし時計をセットし、バックパックも準備した。ドキドキの夜だった。

当日の朝、私はまだドキドキで部屋に待機していた。本当は子供を自分で起こして朝ごはんを作ってあげたかったけれど、それでは練習にならない。時々親って変な風につらい、、、でも、やはり起きる時間が20分過ぎても起きて来ない、、、ああ残念、と言うことで一日目は大失敗。結局子供達は私が起こして朝食を作ってあげた。

でもちゃんと、おねえちゃんと弟とママの見送る中しっかりスクールバスに乗って学校には行ったよ!お姉ちゃんと、ママには涙涙の第一日目だった。

2012年8月8日水曜日

セリーヌ・ディオン


この間タホ湖まで旅行をしてきたばかりの私達だが、今回は、私と旦那様の二人だけで、結婚一周年記念としてラスベガスまで旅行をする事にした。ラスベガスは今まで何度も行った事があるが、今回は4泊5日の長旅。いつもは週末を使っての短い旅なので、今回はゆっくりできるんじゃないかと張り切って望んだ。最初は飛行機で行こうかどうしようか迷っていたけれど、迷っているうちに飛行機の料金が上がってしまったので、結局またロードトリップとなってしまった。でもタホ湖からの12時間の運転をこなしたばかりのだんな様にとってはラスベガスなんて今ではお茶の子さいさい。いつもはぶつぶつ言いながら運転するのに、今回は文句なしでした。

ラスベガスに着いたのはアメリカ独立記念日の7月4日。普通だったら、祝日でもあって花火の仕度など、忙しそうな光景を予想していたのに、ラスベガスは普通の日と全然変わらなかった。第一日目の夜は早速彼と二人で長年行きたかったセリーヌ・ディオンのコンサートに行ってきた。セリーヌ・ディオンはタイタニックの主題歌を歌ったとても有名なカナダ出身の歌手。今は、ラスベガスのシーザスパレスで長期公演をしている。コンサート自体はすごく良かった。セリーヌの声はやっぱり素晴らしいとしか言えない。アメリカでは、CDで聞く曲と、実際にコンサートで聞く歌が全然違うと言うことがよくあるのだが、セリーヌの歌は、CDで聞くよりもすごく良かったというのが、私達の同意見。また、曲の合間に少し喋ったりするのだけれど、そういう時もセリーヌは有名人と言うよりも普通のママと言う様な親しみの持てるような人だった。またラスベガスに来る機会があったらもう一度是日行って見たいと思わせるコンサートだった。チケットは少々高めだがショーが素晴らしいので損はしないと思う。ラスベガスに行く人には絶対お勧め。

2012年8月1日水曜日

日光浴


オリンピックビレッジから帰ってきてやっと待ちに待った日光浴となった。宿泊しているホテルは湖に面した砂浜があるところ。タホ湖は崖が多いので、砂浜があるホテルは珍しいと聞いたので、これもホストママとパパのおかげだ。ママとパパは、子供達が安心して遊べるようにと最初からプライベートのビーチがあるホテルを探してくれたんです。ビーチには日光浴に適したビーチチェアや、大きな日傘がおいてあるので、最適。ピニャコラ-ダを片手に(またお酒だ!)本を読みながら思い切り日光浴となった。今までずっと忙しかったので、たまにはこうやってくつろげる時間があるのは最高!とっても楽しく時を過ごした。

さて夜になって暗くなったら、今度はみんなでサモワを作ることにした。サモワは、マシュマロを薪でこんがりと焼いてやわらかくなったものをチョコレートとグラムクラッカーでサンドイッチにしたもの。甘いものが好きな人には結構病みつきになる。みんなでわいわいと砂浜で焚いたキャンプファイヤーを囲んでサモワを作りながら二時間ほど過ごした。

もう一週間弱のタホ湖への休暇は終わりに近まってきている。まだいろいろ書けなかったけれど、みんなで楽しくいろいろな事をしたな。また来年もみんなで楽しくロードとリップが出来ると良いな!

2012年7月30日月曜日

オリンピックビレッジ

四日目はホストママとパパも含めてみんなで近くにあるオリンピックビレッジに行ってきました。タホ湖の近くにあるスクワ・バレーという所でオリンピックが開催されたのは、私が生まれるかなり前の1960年。今でもホテル、ケーブルカー、リフト、お土産さんや、レストランなどがいろいろあるところ。私達もケーブルカーで山頂まで行ってくることにした。ケーブルカーは私は何度も乗ったことがあるので全然気にもならなかったが、高所恐怖症のだんな様にとっては初めてのこと。乗る直前だんな様を見ていると、硬直状態。ストレスそのものが顔に出てる出てる。そんなことは全然知りもしないホストママは、「せっかく連れて行ってあげてるのにありがたみも無いみたいね。」なんて誤解して怒ってしまったので、ちょっとまずい雰囲気になってどーしよ~。ロマンチックな彼も、こうやってセンシティブなところが裏目に出ることもあるんですよね。そうやって山頂まで上っていくと、なんと山頂にはプールがあった。それもふもとにあるホテルのお客さんで満杯。ふとプールの横を見ると、まだ解けていない雪がある!雪の隣で泳いでいる人達を見るのはちょっと不思議な気持ち、、、ストレス満杯のだんな様はここでもビール。ストレスだらけでもうアル中になりそうです。(笑) 子供達は温かいココアを飲んで、その後は雪合戦を楽しんで下山となりました。

2012年7月24日火曜日

タホ湖

カメラをなくしたので自分で取った写真ではないけど、乗ったセールボートはこのようなものだった。
ロードとリップの第二日目、やっとタホ湖に到着しました。タホ湖はカリフォルニア州とネバダ州の州境に位置しているとても澄み切った水で有名な湖です。天候は残念ながら曇り。風がすごく強くて湖も波がかなり高いし、もうすぐ7月になろうとしているのに、かなり寒い!湖の砂浜で思いっきり日光浴をしようと張り切っていた私はがっかり。けれど、タホ湖には4泊の予定なので、天気予報を見ながら晴天になる日を待つことにしました。三日目は南タホ湖に向かってそこからセールボートで湖を一周することにしました。三日目も風が強く、湖の波もかなり高い。ボートも揺れに揺れ、デッキで立っているのがすごく疲れ状態でした。よろよろと歩くのも危ないだけなので、船内にあるバーでカクテルでも飲むことにした。お昼を過ぎた直後でまだ早いけれど、バケーションなんだから良いのと自分に言い聞かせて、私がブラディーマリー、だんな様はビール、子供達はシャーリーテンプルや、ロイロジャーなどのアルコール抜きのカクテルでみんな乾杯。セールボートでのクルーズは約2時間で終わりとなりました。

2012年7月23日月曜日

マンザナール強制収容所

夏休み!6月の終わりに家族旅行の第一弾として、レイクタホまでロードトリップに行ってきました!レイクタホはサンフランシスコの北東に位置しており、アリゾナからは約1000キロ。車で約12時間ほどかかります。今回は、ホストママとパパと一緒に行ったので、一日目はカリフォルニアのチャイナレークと言う所にある空軍基地で一泊となりました。二日目は空軍基地を出た後、レークタホに行く途中にあるマンザナール強制収容所という所による事にしました。マンザナール強制収容所というのは第二次世界大戦中、日本軍による真珠湾攻撃直後にアメリカにいた日系人全員が収容されたアメリカ国内で10箇所ある収容所のひとつです。(ちなみに収容所がアリゾナ州にも一箇所あるというのはこの時に始めて知りました。)日系人と言っても、日本から来た一世や、二世、三世など、また、日本人国籍を持つもの、アメリカ国籍を持つものもかまわず全員収容されたところです。前に話は聞いたことがあるものの、実際博物館に行って写真や、収容所の生活状態などを実際に見てみると、全然会ったことの無い人達なのに、涙がぽろぽろで出てきました。今でも同時多発テロのあとにターバンを巻いた人たちが差別で殺害されたニュースが出てくるこの世の中、60年以上も前の話、差別はきっと今以上に想像できないほどひどかったんだと思います。収容所に入ったほとんどの人たちが財産を全部無くしたそうで、さぞや悔しかったことでしょう。第二次世界大戦というと、日本でのアメリカ軍による攻撃、広島、長崎での原爆などを想像するのが日本人としては普通だけれど、こうやってアメリカの土地でもアメリカ国籍の日本人にかなりの影響があったということを目の前にして、今回はかなりの勉強になりました。アメリカに住んでいる日本人にとっては、日本軍による真珠湾攻撃は「迷惑」そのものだったんですよね。中には日本政府を恨みながら亡くなった日本人がいたと言っても納得できるような気がします。

2012年6月22日金曜日

仕事の山


何でぇ~?どうしていきなりぃ?なんて嘆いている場合でもないが、この頃嫌に仕事が忙しい。残業できたら残業したいけど、残業は禁止されているので、するとしたら上司に隠れてこそこそとするしかない。15分位早めに仕事場に行って、また15分位遅めに仕事をしたりしてやってる。たったの30分だけどさぁ。しないよりまし、、、でしょ?でもあんまり長くいると、上司の上司がたまに私を見つけて「何してるの?帰る時間はとっくに過ぎたんじゃないの?」なんて、言って来るから結構気を使う。ただでさえ納税者様のお金で食べて行ってるのに、残業手当まで出していられるかってのが理由。でも9月が来たら、私のポジションも含めてほとんどの州公務員はこちらでいう、Uncoveredのポジションになるので、別に残業しても怒られるようにはならないみたい。でも、代わりに残業手当は出ないけど、、、、どちらが良いとは言えないね?と、ちょっと今回は短いですが、家族旅行も近まって、ジム通いも忙しいし、これがブログの更新遅れのいいわけ、、、ごめんちゃい!

2012年6月11日月曜日

シルク・ドゥ・ソレイユ

もう15年ほど前から見に行きたいとは思いつつ行った事が無かったシルク・ドゥ・ソレイユ、昨日やっと娘と二人で行ってきた。シルク・ドゥ・ソレイユと言っても今ではかなりいろいろなショーがあるのだが、今回言ってきたのはこのクーザというショー。場所は先日、日本人のお友達をツアーに連れて行ったばかりのあのフットボールスタジアム。かなり遠い、、、

今日は久しぶりに娘と二人だけと言うこともあって、ちょっとうきうき。ショーは午後1時からだけれど遠いから早めに家を出た。車を一時間飛ばしてやっと高速道路の出口に近ずくと、すぐに大きなテントが見えてきた。ショーはスタジアムの中であるものと思っていたら、なんと、スタジアムの駐車場に大きく白いテントが張ってある。シルク・ドゥ・ソレイユはサーカスみたいなアクロバットのショーなので、テントが会場となってもしっくり来る。

まだ着いたのは12時くらいだったので、お昼ご飯を近くのレストランで取ることにした。グレンデール市にはなかなか行く機会が無いのでいったい周りに何があるのかも解らない。フットボールスタジアムの周りには何も無いので、アイスホッケーのアリーナのほう行ってみた。アリーナの前には噴水があって、その周りには結構いろいろなレストランがあった。私達はちょっとウエスタン系で、中にブルライディング用のメカニカル・ブル(牡牛)があるレストランにした。肝心の牡牛ロデオマシンはまだお昼なので誰も乗っていないんだけれど、夜になったらみんな挑戦するんだろうなぁと思わせるような囲いがあってその中にはフカフカのエアーマットがおいてある。娘もすごく興味があるようで早速写真が取りたいと大騒ぎ!結局ウエイターさんにお願いして囲いの中に入れさせてもらいシャッターチャンス。

シルク・ドゥ・ソレイユはやっぱり噂のとおりワンダフル!たくさんのアクロバットがあれよあれよと登場。それに伴う音楽も、ボーカルつきの生のバンドですごく良かった。ブログではなかなか説明しにくいけれど、言ったことのない方にはぜひお勧め。他にも別にいろいろなショーがあるので、今度は「オー」と言うショーを鑑賞したいなと、密かに思っている私だった。

2012年6月10日日曜日

ダイエット中

現在の栄養ピラミッドは子供の時に習ったのとちょっと違うよね。
実はこの頃ダイエット中。若い時はどんなにもりもり食べても平気だったのに、やっぱり年を取るとおなかのところがポコッと出てきてとても気になる。昔から何もしてなくてもやせてるやせてると言われていたせいもあって、この頃はちょっと意地になってきた。7月になったら旦那さんがラスベガスに連れて行ってくれるので、プールサイドでセクシーなビキニを着れる様にがんばることにした。ビキニを着るのってはじめは恥ずかしくて嫌だったけど、旦那さんが喜んでくれるし(これが一番大切)、歳取るとさぁ、もう開き直ってしまうところもあって結構今は平気。

私のダイエットはカロリーと脂肪、糖分の摂取量の計算と、運動のみ。ダイエットのピルとか、近頃はやっているHCG ダイエットなどは怖いから嫌。運動はエアロビタイプの有酸素運動と、筋肉を使う運動とを交互にして、一週間約四日ほど行くことにしている。食事はなるだけ脂肪分の少ないものをとるようにはしてるのだが、アイスクリームが大好きな私にはちょっと苦しいものがある。ダイエット始めて2週間は経ったのだが体重は、全然減ってない。だけど、運動に伴って、筋肉もついてきているので、それで体重が減っていないという訳だから、まあ良いか。

これからもがんばってジムに通って引き締まった体になるぞ!

2012年6月5日火曜日

夏休み到来!

旧州議事堂の旧議会室で、、、
あっという間に一学年が終わり、早くもアリゾナでは夏休みがやってきた。子供達が小さなときは夏休みがあっても無くてもあまり仕事をしている私にとっては関係が無かったが、大きくなった今は子供達二人だけで家にお留守番してもらわなきゃいけないので、ちょっと心配。先日は、パパが金曜日の朝、子供達を迎えに来たいと言って来たので代わりに木曜日にしてもらって、子供達を仕事場に連れて行った。実はパパは最近ウエストバレーに引越しして車で丸一時間はかかる所に住んでいる。だから私の働いているフェニックスのダウンタウンで待ち合わせにするとパパの家まで半分くらいの距離になるからあっちにとって便利。こういう所は私の仕事場は融通が利くので、すごく便利。パパが迎えに来るのは10時位。私の出勤時間は6時30分なので、10時まで3時間30分も何をしようかと迷ったけれど、結局カフェテリアに朝ごはんを食べに連れて行ったり、本を読んだり、絵を描いたりしているうちに10時になった。初めから、言う事を聞かないと今度から絶対仕事場に連れて来てあげないからと言い聞かせてあったので、子供達も結構静かに仕事場での時間を過ごしてくれたので良かった。

さて日曜日になって、パパにいつ子供達つれてくるのと聞いたら、月曜日に私の仕事場まで連れて来たいと言う。やれやれ、一回したからと言って何度もできるわけはないし、月曜日には会議が入っていたのでどうしてもお昼まで待ってもらって結局仕事場までつれてきてもらうことにした。月曜日はお昼時だったので、旧州議事堂博物館の見学をした後、新館の地下にあるカフェテリアに連れて行くことにした。今は一応、アリゾナ州議会は休会中なので、カフェテリアは普段と違ってあまり背広を着た人達がいなかった。当の本人たちは結構ママの仕事場に来れて嬉しかったみたい。二日ともよく大人しくしてた。たまには社会見学になるから子供達と一緒にこういう事するのも良いかもね。

2012年5月26日土曜日

華道アリゾナママ流


この頃忙しくて全然ブログの更新してない。反省。と言うわけで、久々に見てみたら書きかけのブログがあったので、今日はこれでごめんなさい。またがんばって書きまーす!

(もうかれこれ一ヶ月位前の話、、、)

先日、喧嘩したせいもあって旦那さんが久しぶりに花束を買ってきてくれた。花が多すぎて、花瓶に入らなかったので、少しとって生け花にした。本当はもっと大きく盛りたかったんだけど、何しろ狭いスペースに無理やり入れたので、ちょっと低め。このお花、きっと日本にいる小原流の先生である母に見られたら、笑われそう。高校の時、茶道は裏千家で結構がんばってお稽古に通っていたけれど、華道になると、先生を母に持ってる癖してまったく興味無しだったもの。一応試験とか受けに行った記憶はあるけれど、あんまりだったね。大人となった今だったらすごく興味があるけど、アリゾナで小原流は聞いたこと無いなぁ、、、

2012年5月14日月曜日

太鼓レストラン

先日の金曜日はお友達と一緒に家族同士でお寿司を食べに行ってきた。このレストランは5年位前に一度行ったきりで最近は行ってなかったのだが、たまたま見ていたチラシにクーポンが入っていたこともあり、また挑戦してみることにした。中流家庭の私達にはクーポンの威力大。場所がお友達のお家の近くでもあったので旦那さんがお友達を呼んでみればと、突然グッドアイデア。電話で「子供達もみんなで一緒に行かない?」といきなり突然のお誘いをしたにもかかわらず快く来てくれた。

実は家族みんなで会うのは初めて。私の子供達は12歳と10歳。彼女の子供達は8歳と5歳で、会う前は年齢にちょっと差があるかなとは思ったものの、実際会って見ると4人みんなで驚くほど仲良くしてる。親としてはすごくラッキー。

結局みんなで御寿司やてんぷら、お刺身など頼んでたらふく食べました。子供達も日本のメロンソーダや、ラムネを飲んで、最後には餅アイスクリームまで食べてニコニコ。その後は大人達がお話している間、カウンターをのっとって、すしの職人さんとわいわいとお話ししてるなと思ったら、なんとその方にオレンジでポケモンを作ってもらってた。子供好きの職人さんで良かった。

それにしても、私の大好きなハマチはたっぷり脂がのっていてとても新鮮でおいしかった。アリゾナに住んでいると、小さなレストランは新鮮さも当たりはずれが多いので、ラッキーだったのかな。今度また試してみようっと!食事が終わったあとは、なんと母の日の週末と言うことで、ウエイトレスさんが友達と私それぞれにバラの花を一輪ずつ持ってきてくれた。感激!思ってもいなかった事なので、結構嬉しかった。私って結構単純。

2012年5月6日日曜日

フェニックス観光


先週は日本からお友達夫婦が遊びに来た。前に会ったのは2年近く前だったと思う。このお友達夫婦の奥さんとは実はホストファミリーを通してもうかれこれ25年前に知り合った。と言うのも、彼女は私のホストファミリーのお家にホームステイした第一号の日本人娘。私がちょうどアメリカに交換留学生として来たのは1986年の9月だったが、彼女はその年の夏にホームステイしたのだ。だから最初私のホームステイ先が決まった時は、ホストママとパパのほうから彼女の電話番号をくれて日本で電話をして知り合ったと言うのが私たちのいきさつ。

今回の滞在期間は一週間。なので、ほとんどの時間をホストファミリーと過ごすことになったのだが、最後の一日だけ私たちに時間を割いてもらった。お友達のだんな様は大のスポーツ好きなので、前回はアリゾナダイアモンドバックスの野球の試合を見に行ったのだが、今回は、野球も、バスケットボールも残念ながら遠征試合中。インドアフットボールのラトラーズは試合日が合わなかったし、唯一スタンリーカップのプレイオフで生き残っているアイスホッケーチームのフェニックスコヨーテすら、遠征試合中だった。だからスポーツ観戦は無理。しょうがないので、何かスポーツ関係のものはないかと探した末に、アメフトのチーム、アリゾナカーディナルズの本拠地であるスタジアムのツアーを発見!

と言うことで、朝ごはんをフェニックスにあるかわいらしいカントリー系のレストランですませた後、スタジアムのツアーをした。その後はフットボールチームとアイスホッケーチームのチームショップでそれぞれショッピングに行ってきた。その後は場所を変えてダウンタウンにある州議事堂の見学、また、ダウンタウンにある、野球場とバスケットボールチームのアリーナによってまたまたチームチョップでショッピング。その後は野球場の中にあるレストランで野球場を見ながらちょっと休憩した。

アリゾナにはじめてきた時はいろいろと知り合いが遊びに来たのだが、長く住んでいる今はなかなか観光客としていろいろ見学する機会が少ない。だから、たまにはこうやってお友達と観光して回るのも結構楽しかった。





2012年4月19日木曜日

久々のヘアカット



この頃下の娘の髪の毛が以上に長くなってきた。もう腰の辺りまでの長さ。結構長い。長いのはいいけれど、その分やっぱりダメージがひどいと言うわけで、この二ヶ月ほど髪切りに行こうようと、何度も言っていたけれど本人は「嫌」の一点張り。この頃はもうあきらめていたけれど、昨日なんとなくお姉ちゃんに「妹の髪の毛切ってやれば?」と冗談のつもりで言ったら結構喜んで娘を口説きに言った。当の本人は最初は疑い深い目でおねえちゃんを見ていたが、しぶしぶ了解。やったぜお姉ちゃん!

上の写真は裏庭でお姉ちゃんに髪を切ってもらっている娘。少なくとも10cmは切ったのにまだ長い。お姉ちゃんの初挑戦でもあるのでちょっとがガタガタ系だけど、本人には見えないから沈黙。どんなに真っ直ぐ切っても結局だんだん伸びてきてガタガタになるはずだし良いか。ついでに前髪もちょっと切ってもらって、結構ましになってきた。これで伸び放題のような感じじゃなくなってきたので、感謝。

2012年4月18日水曜日

動物園でガールスカウトキャンプ

今年ガールスカウトクッキーを受け取ったあたりに娘の所属している団長のスキャンダルが明らかになった。なんと、子供たちを預けて信用していた団長が、実は団のお金を悪用していたというのだ。私も娘もガールスカウトは今年が初めてなので、何がなんだか判らないうちに、団長は首になってしまった。幸いな事に、残った副団長達が自ら買って出て団長なしで今年のガールスカウトを最後まで終わらせることになった。しかしながら、娘の所属するカデットの副団長は元の団長と大の仲良し。と言う事で、もちろん、団長の首と伴って、副団長も辞めてしまった。親としては、副団長無しの娘のクラスはどうなることか心配だったのだけれど、新しく同じ団に所属している女の子のお母さんであるスピーチセラピストの先生がボランティアで副団長になってくれたので、一件落着。 

ただひとつの問題は、副団長達は子供達をつれてキャンプ場にキャンプに行くためのガールスカウトの免許を持っていないと言う事。実は、毎年4月にはジャンボリーと言うアリゾナ州に所属するガールスカウトの女の子達が集まる大きなキャンプがある。もちろん私も娘がそのキャンプにいけるように登録していた。ところが、今回は団長の首でそれがだめになってしまったのだ。それでも副団長達は子供達ががっかりしないように動物園でのキャンプを提案してきた。フェニックス市動物園のキャンプは、キャンプと言っても修学旅行みたいなもの。キャンプ場に行くキャンプと違ってかなり安全な場所だ。だから、免許もいらない。と言うわけで、先週末娘は一泊で動物園にキャンプに行ってきた。 

実はこのキャンプ、息子が前学校から修学旅行で行ってきたのと同じもので、Night Camp at the Phx Zooと言うもの。と言う事で、息子にいろいろと教えてもらった娘は楽しく動物園で一夜を過ごして帰ってきた。

2012年4月15日日曜日

13日の金曜日

嫌な予感が当たったのはやっぱり13日の金曜日だった。そう、やっと待ちに待った連絡が来た。結果は残念ながら、希望の職種もらえず、、、、その代わり、もうひとつの職種にに空きがあるので、そちらのほうは興味があるかと聞いてきた。実は、その職種一応目を通しておいたのよね。お給料はそのお仕事の方が上なんだけど、何しろ出張が多い。シングルで子供がいなかったら、即OKするだろうけれど、今の私には家庭のほうが大事、、、と言うわけで、今回は新しいお仕事に着くこと成らず。

悔しいけれど、こんなことでいじけても馬鹿らしいので、憂さ晴らしに金曜日の夜と土曜日一日中娘を連れてプロムドレスの買い物に出かけて来た。結局4つのモールをはしごして、やっとドレスと靴が見つかった。ネールサロンにも予約を入れて、あとはアクセサリーを見つけるだけ。

プロムまであと一週間しかないけれど、結構今週はいろいろなことを成し遂げた感じで、ミッションコンプリート。

2012年4月13日金曜日

ちょっと心配、、、

 今日はすでに金曜日。先日新しい仕事の面接をしたことは報告したばかりだが、今週中までには連絡が来るだろうと思っていたのにまだ連絡が来てない。昨日一応参考人になってもらった人達に連絡を取ってみたが、4人中2人連絡が来たと言っていたので、まだ全然だめと言うわけでもなさそう。今まで結構旨い具合に事が運んできたので、いきなりのこの沈黙にちょっと躊躇してしまう。今の仕事もまだ忙しくてコントラクターの人達ともアポも取らなきゃいけないけれど、アポを取って後でキャンセルとなるか後ちょっと待って様子を見てみようかと思ったら、もう少し待ってみようかなと思うので、仕事もちょっと中途半端な感じ、、、、ここは焦らずじっくり腰を据えて待たねばとは思うのだが、やっぱり早く連絡が来て欲しいと思うのが人情。

2012年4月11日水曜日

お昼のデート

最近喉の痛みがそこまで激しくなくなったし、話さえしなければ何をしても結構疲れなくなってきたので自宅勤務を始めた。自宅勤務の良い所は、時間を結構自由に使えると言うことだ。ちゃんと8時間仕事さえすれば、ちょっと長めのランチをとっても大丈夫。と言うことで、今日は長女を誘ってランチデートに行って来た。いつもは下の子供達も一緒だけれど、今日は下の子達は学校なので長女と二人きり。たまにはこういう二人きりの時間が持てるのも結構いい。高校生なので、結構大人同士になった気分でお話も出来るしね。彼女のリクエストはハンバーガーだったので、レッド・ロビンというレストランに行ってきた。好き嫌いの多い彼女は普通のハンバーガーで、ちょっと変わったのが好きな私はブルーチーズののっているハンバーガー。喉の手術をしてからずっとハンバーガーが食べたかった私なんだけど、実際食べてみても調子が悪いのか、あまりおいしくなかった。おまけに喉まで痛くなってきたので、がっかり。早く良くなってからまたランチデートしようと思った。

2012年4月10日火曜日

プロム


アメリカの高校では、毎年春になるとプロムというダンスパーティーがある。このダンスパーティーには、男の子はタキシード女の子はフォーマルドレスを着ていくのが普通だ。この頃はダンスパーティーの会場も学校の体育館などではなく、ちゃんとしたリゾートホテルの宴会場などを借り切ってすごくフォーマルだ。なかにはリムジンカーをプライベートに雇う子達もいて、それはたいそうなものだ。プロムのある週末は、よく正装をした男の子と女の子達がレストランでプロムに行く前に夕食を食べている姿を見たりしてほほえましいものだと思ったものである。

家の長女も高校生。去年は何人かの男の子から誘われたが行かないの一点張りで、結局行かなかった。今年は高校をオンラインに変えたので、新しいお友達に会える機会が少なくなったしどうかなと思っていたら、今年もまた同じ男の子から何度も何度も誘われたみたい。別に付き合っているわけでもないから最初は行かないの一点張りだったが、二三日前に起こった出来事で心変わりした。

とある朝なんとなく外に出てみると、上の写真のように花束と一緒にキャンドルで「プロムに行きませんか?」と地面に書いてある。吹き消されたキャンドルなので、夜だったらきっと綺麗だったんだろうと思わせる光景。娘に誰からなのよ、って聞いても「もしかしたらって言う人は考えられるけど、花束にはあなたのプロムのデートの相手よりとしか書いてない。」と言う。結局娘はフェースブックに「これ誰がしたの?」と言うコメントを載せて写真を公開して相手を見つけた。もちろん相手はその「もしかして」の彼。実は、彼によると、その前日綺麗にキャンドルを灯して準備万端で娘に外に出てこないとメールを送ったのに、娘はなんと「もう疲れたから寝るわ。」と相手にもしてくれなかったそうだ。娘と二人で、呆然と立っている彼を想像して笑ってしまった。ちょっと可哀想だけど、男の子なんだから、そういう体験が少なくとも一回や二回はあるはず。

でもロマンチックなことはロマンチック。そういうことに弱い娘はすぐ折れてプロムに行くことになった。チャンチャン!それにしても、プロムというとドレスや靴に金がかかるんだよね。それもきっとプロムで着たきり二度と着ないドレスとなるはずなので苦しいのは親の私たちよね。でも、一年に一回だししょうがないか。

2012年4月9日月曜日

復活祭

復活したキリスト様と、私の洗礼名に
使わせてもらったマグダレのマリア
あれよあれよと言う間に、いつの間にか四句節も終わり、また復活祭の日がやってきた。復活祭は、聖金曜日に受難と死去を体験したキリスト様がこの世に復活されたのを祝う日である。キリスト教の行事の中ではクリスマスよりも大切な日とされる。それはキリスト様が私達の犯した罪のためにお亡くなりになられたと言うこと。死ぬ寸前まで一言も私たちの悪口は言わず反対に私たちの犯した罪への許しを神に請うた方。それがキリスト様だ。だから、キリスト教の人達はまず教会に行く。
イースターエッグ
ラップをまだ縮ませる前

私達も復活祭の日はいつもより混んだ教会のミサに行って一日が始まった。ミサの後は家族で集まって、食事。ところが今年はシェフが作った食事の配達が遅れたので食事は夕方の6時まで待つ事になった。大人達はお喋り、子供達はお遊び、ティーン達はダンスで時間を費やし、誰も彼もエッグハントのことをすっかり忘れてしまった私達は、食事が来てすぐ、おなかがすいているのでお祈りをして食事となった。

イースターエッグのラップを
ドライヤーで縮ませている娘
ちなみにエッグハントとは自分で色を塗ったり綺麗に飾り付けたゆで卵や、プラスチックの偽物の卵にお金やチョコレートなどを入れたものを庭中に隠してみんなで探す行事。うちの習慣は復活祭の前日の夜イースターバニー(ウサギさん)が子供たちが装飾した卵を子供達の寝ている間に家中に隠して、おまけにいっぱいお菓子やおもちゃの入ったイースターバスケットをおいていく。子供達は復活祭の朝起きてイースターバニーが家に着たかどうか卵を捜し歩くというのが普通だ。でもそれに加えて子供達の行事として外でもする。アメリカはサンタクロースだの、イースターバニーだの、子供達にいろいろプレゼントを持ってきてくれる「人」がいて本当に子供たちにとっては楽しい国だ。

暗闇の中で懐中電灯を片手にエッグハント
アメリカに長年いるけどこれは初めて
話を元に戻して、さて食事が終わって、さあエッグハントの準備をしようと思ったらなんともう外は暗くなっていたと言う始末!(汗)うちの家族は、子供のグループと大人のグループに分けてするのでまずは子供のグループを先にしたが、やはり暗すぎた。一応車を2台持ってきて車のライトを照らしたが、ちょっと草むらになると何も見えない。子供達はぶうぶう言いながらのエッグハント。写真も何もキャプションが無かったら、まるでハロウィーンのごとく、、、すごくかわいらしいはずのエッグハントは今年は大失敗。大人のグループもいつもどおりの勢いがあまり無かった。だって暗いんだもんね。私は去年張り切りすぎて転んだ覚えがある。今年は手術直後なので、パス。みんなが楽しく暗闇でエッグハントしている所を観ているだけだった。(笑)

今年はちょっとみんなで大失敗してしまったイースターだったが、一応何をするにしても、家族で集まるのは楽しい。何をしても、みんなで一緒にして思い出を作るのが、家族親戚を持つありがたみだと思う。

2012年4月7日土曜日

手術をしたもうひとつの理由 (3)


電話を切って即だんなさんに電話した。ねぇねぇどうしよう、面接キャンセルしといてあと2週間は会えませんから、なんて言ったけど、ちょっとずうずうしかったよねぇ、私。とふらふら気味の癖してあせりまくってる私。だんなさんもそれはねぇ、でもしょうがないかもねぇ、なんてなんとも言えない状態。その時ふと、彼が「熱があったら手術は出来ないんじゃないの?」なんて、当たり前の事を言ってきた。そうだ!もちろんだ。熱があれば手術は出来ない。と言うことは、病院のほうにも電話をするべきなんだ。もうこの時点では気力も体力も無い私、「お願いだから病院に電話してくれる?」とだんなさんに全部代わりにしてもらった。

行動力のある私のだんなさんは即先生に電話して、手術を一週間延期してきた。その後すぐ私に電話してきて、今すぐ面接者に電話を入れて手術を一週間延期したことを伝えろと言うのだ。あちらの為に手術まで延期したとすれば、そこの所は見込まれるかもしれないと言うのだ。「でも、一週間以内に面接できなかったらどうするのよ。そしたら2週間どころか3週間もあえなくなるわけじゃない。」とちょっと疑い深かったが、こういうことにかけてはいつも彼が大当たりのほうが多いので、一応電話してその事を伝えた。と言うより用件をボイスメールに残した。

次の日奇跡が起こった。あちらからまた二次面接の連絡が来たのだ。やったね!二次面接は手術の前日。今回は気分爽快。準備万端で、面接場に45分前に到着。車の中で一人面接のリハーサルをしながら心を落ち着けた。面接の10分前に車を出てビルの8階に向かう。面接は本当は5人のはずが、一人どうしても来れなくて4人だった。最初は自己紹介から始まり、チームワークや、データ管理、他のアリゾナ州のエージェンシーとの付き合い方、また幼児児童の保育免許や許可証に関するアリゾナ州法律(Arizona Revised Statutes)や規則(Arizona Administrative Code) などの質問を次々とされた。中には、ちょっと考えてしまう質問もあったけど、今の仕事のおかげで全部満足に答えられたと思う。他の人がどう答えたのかすごく興味津々になる質問が多かった。

と言うことで今は結果を待っている状態。手術で話せないので、メールをくださいと一応言ってはいたがどうなることやら。どちらにしろ来週あたりまでには結果がわかるはず。手術でこれだけ苦しい思いをしたのだから新しいお仕事がもらえるといいな。もちろんお給料もその分上がればいいな。残念ながら今現在お仕事がもらえるかどうかはまだ解らないけれど、どちらにしても状況報告をするつもりなので、その時までお待ちくださいませ~。

2012年4月6日金曜日

手術をしたもうひとつの理由 (2)


前日は一日中会議で、お昼あたりからどうも調子が悪いなと思っていたら案の定、会議の終わった5時くらいにはもう友達から「どうしたの?大丈夫?」って聞かれるほど様態が変わっていた。がんばって家まで車を運転して帰っていったものの、ガレージに車を入れるのもあやふやな状態。同じころに帰ってきただんなさんにもただいまと言ったっきり子供達の様子もチェックせず寝室に速攻。そのままの状態でグタッとベッドに横たわっていると、10分位して(まるで一時間の様だった)だんなさんが様子を見に来た。「子供達のチェックはした?」なんてちょっとイライラ気味のだんなさんは、私がグタッとしてても最初は信じてない様子。日ごろから健康な体を持ってると、こういう時信じてもらえないから悔しい。「熱があるみたいなの、私。」と言う私を無視して子供達のチェックにさっそうと行ってしまった。気が利く私のだんなさん、私が起きて来ないので、早速夕食の支度に取り掛かったみたい。これってありがたいやら悲しいやらとても複雑な気分。そうやって一時間後また戻ってきて「おなかすいた?何か食べるの?」とちょっと遅めの質問をしてきた。しょうがないからむくっと起き上がって「ちょっと熱がありそうだから体温計持ってきてくれる?」 まだこの時点では信じてない彼、「チェッ、しょうがないなぁ。」なんて言いながら持ってきた。それを口にくわえて30秒後、私は華氏100.6度の熱があった。摂氏では38度1分。やっとの事で私の病状を把握した彼は、ちょっとやさしくなってくれました。え~ん!

問題なのは、手術と次の日に控えている第二次面接。手術を控えているので解熱剤は飲めない。お医者さんによればタイレノール(Tylenol)だったら良いと言う人もいるが、私のだんなさんはタイレノールが大嫌い。肝臓が悪くなるから特にお酒を飲む人はあのお薬は飲むべきじゃないと、日ごろから言っている。だから、今回もだめ。結局次の日まで待ってみることにした。次の日も会議が控えていたので、一応同僚にメールで休むかもしれないことを伝えて早めに寝ることにした。

当日も熱は下がらなかった。会議には行けなくても、面接だけは行かなくては。とがんばって、シャワーを浴びて、したくした。彼から電話がかかってきてどうするのと聞かれたときも、「がんばって面接に行って、普通の振りする。」と言ったけど、言ったとたん彼も私も無理だと思った。とにかくがんばるからって、電話を切った後、靴を履いたときにちょっとふらふらぎみ。そういえば前日のお昼病気になる前にお昼を取った後何も食べていなかったんだ。ちょっと何か食べなきゃと思いつつ自分の顔を鏡で見たとき、やっぱりだめだと思った。面接に行ってもこんな姿では面接に集中できない。パネルには大型さんが来るはずだから、ちょっとでもしくじったら今までの準備が水の泡になるかもしれない。それくらいだったらはじめから状況を説明してキャンセルしたほうが、いいかもしれない。もし、私が面接に病気でこれなくても私に興味があるならあちらからまた連絡があるはず。もし連絡が無くてこの仕事がおじゃんになっても、それは神様の計画通りのはず。と、望みを神に託してキャンセルする事にした。

結局面接一時間前に電話して、状況を説明した。熱が高くてどうしても運転できる状態ではないので、残念ながら面接に行くことができませんと言うと、案外あっちは解ってくれて「大丈夫よ、みんなのスケジュール見てまた新しい日にちを選びましょう。」とおっしゃってくれた。ほっ、でも、そんな簡単なもんじゃない。だって私には手術があるもの。その事をすっかり忘れていたのでどう言って良いか解らず、結局正直に「実は手術が明後日に控えており、その後は回復のためあと2週間ほど静養しなくてはいけないんです。」と、言ってしまった。今まで手術も面接も準備満タンでいぞんできたのに、最後になってどうしてこうならなきゃいけないわけ????

という訳でまた明日に続く、、、

2012年4月5日木曜日

手術をしたもうひとつの理由 (1)


この手術を早く終わらせてしまおうと思ったのは、ほかにももうひとつ理由があったから、、、

実は新しい仕事に応募することにしたのだ。前のブログにも書いたが、アリゾナの公務員はお給料が上がらない。上がる事があっても2%とか、多くて4%くらい。プライベートの会社に入ってた時は一年でもちゃんとまじめにお仕事をしていれば7%は絶対お給料が上がっていたので、それと比べると無いのも同じ。ちなみに最後にお給料が上がったのはかなり昔で覚えきれないというのが現状。

でも、今のお仕事は大好き。大学で幼児児童発達学を勉強していたので、今のお仕事はその時のお勉強がかなり役立つ仕事。上司もすごく良い人で、融通が利くので今までこれでいいかと思っていたのだが、ある時何となく州の他のエージェンシーで、あるポジションに空きがあるのが目に入り、思い切って応募してみることにした。一応今の仕事とかなり関係の深いエージェンシーであることもあり、今の上司も私のお給料に対しての不満は前から知っているので、一次面接の電話がかかってきた時点で正直に話した。上司はすぐ了解してくれて、もし仕事が決まったら決まり次第その事を打ち明けるようにといわれた。何でも新しい仕事が見つかったら、州政府では新しい仕事のお給料に合わせて今の仕事の昇給が出来ることがあるそうだ。それだったらどうして今それが出来ないかというと、それはそういう風にアリゾナ州の規則があるから、、、変でしょう?

そういうわけで、一次面接をクリアした私には二次面接が待っていた。二次面接は5人のパネル面接だ。一次面接のときにスケージュールをあらかじめ聞いていたので、手術を予定もそれにあわせてした。二次面接はいよいよ手術の二日前。新しいスーツと靴もおそろいで買い、エージェンシーや職種に関しての勉強もして準備万端だったのに、、、、そう。前夜になって熱が出た。39度近くの熱。それも、手術を控えているので血がさらさらになってしまうような解熱剤は飲めない。あああっこんなことってあり~?という訳で、話は続く、、、

2012年4月3日火曜日

こんなに痛いものだったのかっ!


この頃全然ブログに手をつけてないが、理由その一、手術をしたばっかり。みんなから、「本当にするの?」「大丈夫?」なんてやんわり「止めたほうがいいよ~」と言われていたにもかかわらず、結局手術をしてしまった。一週間前に予定されていたこの手術、実は手術予定日の二日前に突然来た発熱で、一週間延期された。いまだにあの熱は何だったのかわからないが、ある日突然気分が悪くなって熱が出て、手術前だから解熱剤も飲めず苦しんで、二日後に去っていったという、なんだかまるで手術を延期するためだけに発熱したような、なんとも変な出来事だった。ただ一つ、良い事はまた一週間を仕事の準備に費やすことが出来たということ。仕事もいろいろあるが、どうしても待てない事は同僚にお願いして取り扱ってもらっているので、あとは二週間くらい私がいなくても大丈夫ってくらいに準備オーケー。これって私にしては結構すごい出来事。

さて、当日の前夜は夜の12時以降絶食。水一滴もだめ。だからその日の夕食は食べた食べた。もう手術後の二週間はあまり食事が出来ないと解っていたのでチップス系のスナックやら、ステーキやら、私は昔から「やせ(昔は”やせ”だったが今は普通)の大食い」が定番だったので、知る人ぞ知るって感じかな、私を知っている人はきっと想像できるしょー。

当日は手術が8時なのにチェックインがなんと6時30分。何で準備に1時間半もかかるわけ?とぶつぶつ文句を言いながらチェックイン。だってコーヒーすら飲めないんだもんね。イライラしますよ。それにうちのだんなさんはわざと、「うん!このココアとっても美味しいよ。味見してみる?」なんて最初から私が味見できないのを解って冗談掛けてくる。いじわるぅ~

その後点滴をつけて、病院のブレスレットつけて、耳鼻科の先生と、麻酔の先生に会ってちょっとお話した後、歩いて手術室に向かった。へぇぇぇ~手術って言うとさぁ、寝たままベッドごとゴロゴロと手術室に連れて行かれるのかなと思ってたら、そうじゃなかった。そう言えば、よく考えてみると、娘の時もそうじゃなかったよね。やっぱり自分の事じゃないとあまり考えてなかった訳ね、私って。手術室ではすごく小さなベット(それも幅30センチくらい)に横たわるようにと支持されて横たわった。そのときガウンの後ろが開いてるの忘れてしまって、先生達に(どちらも男)思い切り赤のパンツ(それもT-バック)を見られた。恥ずかしい~(汗)

手術自体は1時間くらいだったみたいだ。だんなさんは、自分でベッドから起き上がって洋服着替えて車椅子に座ったじゃんなんて、言ってるけど、記憶なし。完全に麻酔聞いてました。

今は手術後5日目。のどすごく痛いです。何もしないといいんだけど、つい忘れてつばを飲み込んだりすると、すっごく痛い。声あまり出せないので、耐えてるけど、やっぱり痛い。今の所強い痛み止めを飲んでるのに痛いので、いったいいつ良くなるのかは、はっきり言って想像がつかない。どうでもいいけど早く良くなって欲しい。

おっ、そうそう、手術の日に日本人のお友達がおかゆを作って持ってきてくれた。おかゆの存在すら忘れていたのに、すごく大助かり。持つべきものは友よね~。涙出るほどうれしかったぁ。

2012年3月22日木曜日

聖パトリックの日


この頃ブログを書き始めては止めの繰り返しなので、昔の話になったくらいに更新する事になってすみません。

先週の土曜日は聖パトリックの日だった。聖パトリックの日は主にアイルランドのお祭なのだが、お祭事となると何でもアメリカ文化にしてしまうアメリカ人のこと、その日ももちろんアメリカでアイルランド人であろうと無かろうと、関係なしにお祝いをする。聖パトリックの日の色は緑なので、その日は何もかもが緑一色になる。町に出かけてもいろいろと文字の書いてある緑色のT-シャツを着た人が歩いているのを見かけるし、この日は沢山の人が、緑の洋服を着ている。私がアメリカに来たばかりの時は、「ホストママに緑色の何かを身につけてないと人からつねられるわよ。」なんて言われて、「えっそんな事されるなんて、アメリカ怖い!」なんて思った覚えがあるが、実際緑を着ていなくてもつねられた経験はいまだかつて無い。

ちなみに聖パトリックはアイルランドでカトリックの教えのひとつである三位一体(父である神様と、子であるキリスト様と、聖霊が一体の神とする考え)をクローバーの三つ葉を使って教えたとされる。だからカトリックの信者にとってはアイルランド人であろうが無かろうが、お祝いはするけどね。でも祭事って感じじゃあないね。

私達はたまたま土曜日だったこともあって、また彼の実家に行って義息子のお友達のシェフが作った、アイルランド独特のメニューであるコーンビーフとキャベツ、ポテトを食べてきた。デザートはベイリーのリキュールが入ったクリームにあわせたチョコレートケーキ。とっても美味しかった。おごちそうさま!

2012年3月17日土曜日

お雛様


3月3日はすでに二週間も過ぎてしまったが、一応うちにも娘がいるのでお雛様を飾っている。家には二つの種類のお雛様がある。ひとつは大胆に7段飾りの度デカイお雛様と、もうひとつはこの写真にある小さなミッキーのお雛様。今年も3月3日になるまでぐずぐず出してなかったので、今回は小さなミッキーのお雛様だけを飾ることにした。このお雛様はかれこれ12年位前に日本のお友達が送ってくれたもの。大きさも縦横で50センチくらいの小さな物なので、リビングのテレビのキャビネットの中に飾ってちょうどいい大きさ。前に日本から送ってもらった、こんぺいとうや、お菓子も飾って(本当に食べれるやつだけど、もう何年も経っているので食べれない。)かわいく出来た。日本に住んでいるときは確かお雛様を4月3日まで飾ってお祝いしていたので、アリゾナでも同じ事をするようにした。肝心の3月3日には散らし寿司もお吸い物も作らなかったので、代わりに4月3日に作ってみようかな。こういう時は日本に住んでいないと勝手にしても誰にも文句言われないのでいい。(笑) 

アメリカに長く住んで、また、ほかの日本人のお友達と一緒にすごす時間が少ないと、残念ながら日本の文化を忘れがちになる。結局これは私のせいなので、あまり文句も言えない。でも今回彼と一緒になってからは彼のいとこの奥さんが、アメリカ人なのにいつも3月3日になると「ハッピーガールズデー!」なんて言って来るので、アメリカ人にそう言われたら、日本人の私も何もしないわけにはいかないよね、という訳で、ちょっとがんばってもっと日本の文化をまた学びなおしてみようと思う。反省。

2012年3月3日土曜日

扁桃腺摘出手術 その2


つい最近、家の娘が扁桃腺の摘出手術をしたばかり。実は、私の扁桃腺もかなり大きい。幼稚園で働き始めた頃は、毎月扁桃腺炎でお医者さんに行っていた。この頃は直接子供たちと働く機会もなく、あまり病気になりがちではないが、前々から機会があったら手術をしようと思っていたので、今回思い切ってすることにした。大人の手術は子供に比べて回復期間が長いようなので、一応仕事場から2週間の休暇をとることにした。と言っても仕事が溜まるので、結局2週間目は家で仕事と言う事になるのだろうけど、喋らなければ大丈夫。手術まであと3週間ほど。ちょっと心配な面はあるけれど、旦那も一緒に三日ほど休暇を取って私の面倒を見てくれるといってくれてるし、大きな喉が無くなると思うとちょっと怖いけど嬉しい変な気分。

2012年2月29日水曜日

二人っきりの週末


先週の週末はなんと、子供達がそれぞれあちらの親の家に行ったので久々彼と二人っきりの週末を過ごした。いきなり二人っきりになったので何をしようかと考えた挙句、金曜日は仕事後におすしを食べに行って映画を見てきた。観たのはThe Vow(ザ・ヴァウ)と言う映画。大好きなレイチェル・マクアダムスが出ているチックフリックス(女性向)映画だったので、普段アクション映画が大好きな彼はしぶしぶ。今回は私が映画選ぶ番だもんね。実話だと聞いていたので泣ける映画かなと思っていたけど、観ていたらなぜか反対にイライラする映画だった。主人公と私の考え方にギャップがあったわけ。

土曜日は一年に一度のアリゾナ日本祭。もういつ行っても同じ事ばかりで面白くないので最近は行ってなかったのだが、旦那が一度も行ったことが無いと言っていたので連れて行くことにした。お昼辺りに行ってきたのだが、もうすでに三箇所にあるステージでは柔道や太鼓、また、日本踊りの実演があっていた。露天もたくさんあって何か食べてみようかなとは思ったが、何しろ列が長すぎたので、結局お昼はアメリカ一美味しいと噂のピザ屋に行ってピザを食べてみた。その後はお茶会があったので、1人8ドルの券を買って、お抹茶を飲んでみた。彼はお抹茶嫌いかなと思ったが、飲めないことは無いとちゃんと全部飲んでいた。おりこうさんね。アリゾナにもちゃんと華道(草月流)や茶道(裏千家)など、ちゃんとした日本のお稽古事も習おうと思えば先生達がいらっしゃるので、恵まれてると言えば恵まれている。結局私達は日本の雨傘を35ドルで買ってうちに帰った。おっ、ちなみにダウンタウンにある「ノブ」と言う日本食料理店に行ったが、すごく高いだけで、味はまあまあ。私たちは外に座っただが、外で食べたからと言って発泡スチロールのお皿に高い料理を盛られては美味しいはずの料理も美味しくなくなるって感じ。もう二度と行かねー。

2012年2月19日日曜日

ガールスカウトクッキーの到来


先週あらかじめ注文していたガールスカウトのクッキーが届いた。結局プリオーダーだけでで253箱1,012ドルの売り上げだから、ガールスカウトに所属し始めたばかりの娘にとっては栄誉。大きな箱にクッキーの箱がそれぞれ一ダースずつ入っているので、全部で約22箱くらいの量を上の写真のように車に乗せてうちにもって来た。ちなみに上の写真は私の車ではないけどまるでそっくりなので載せてみただけ。家に帰ってすぐそれぞれの注文にあわせて仕分け作業の始まり。3分の1の量はパパ側からの注文なので、結構早く終わらせた。それにしてもガールスカウトクッキーは売る側も大変だよ。注文した後に仕事場を辞めていった人達が二人ほどいて、そういう人達に限っていっぱい買っていったので私が代わりに買ってあげようと思ってもかなりの量。しょうがないから人伝に今の仕事場を聞いたり、自宅に電話してみたり、、、、それでも一週間で私側は完了。

実を言うと400ドル相当のクッキーをパパ側に送るのははすごく不安だった。この前始めたばかりのトラックの仕事もまた辞めてしまったようで、養育費も止まっているパパのことだから、クッキーのお金をうまく収集できなかったらたくさんの箱が戻って来そう。普通だったら、何としてでもクッキーを売ってお金を戻すのが当たり前のことだけど、あの人はそんなこと考えない人だからすごく心配だった。念のためクッキーを渡した時にクッキーのレシート作って著名させた。そんなことまで最初から考えておかないと、クッキーもお金も戻ってこなかったら私に責任がかかってくるもんね。余計な神経使わせるやつだ。娘にも始めから、お金とビジネスの重要さを口がすっぱくなるまで言い聞かせて、パパのお家に送った。その後も私は子供達がパパのお家に行っている週末ずーっと心配していたが、結局娘は無事にお金を持って帰ってきた。くわばらくわばら、、、

最後になりましたが、娘のクッキーを買ってくださった方々に深くお礼申し上げます。